2023-01-01から1年間の記事一覧

クンパカン、川を堰き止める!

十二月二日土曜日の午後、「コーン」というタイの仮面劇を観に行く。タイ文化センターの二千席のメインホールは満席だった。観客は小学生から高齢の方まで幅広く、ほとんどがタイ人である。華やかな民族衣装に身を包んだ人もいて、私も来年は挑戦してみよう…

「このようにみごとな世界があるのに、どうしてそれをすこしも味わわずにやりすごすことができるのか」──リルケ『マルテの手記』(高安国世訳)」

「そう、要するに人々は生きるためにこのパリにやってくる。だがぼくには、むしろここでは何もかもが死んでゆくように思えてならない」 高遠弘美先生の『プルースト研究─言葉の森のなかへ─』*1に小説の書き出しについての論考があり、リルケの『マルテの手記…

再読のできる本を発見するよろこび

私の好きな『モンテ・クリスト伯』を翻訳した山内義雄の「二十余年折にふれ坐右はなれぬ書物の一つ」*1として挙げられるマルセル・プルーストの『楽しみと日々』は、1896年にプルーストが初めて世に出した作品集である。二十代前半に書かれた短編小説、散文…

選び取った現実に生きること──村上春樹『街とその不確かな壁』を読む

村上春樹の小説には、「いったいこれはなんだろう」と呟かざるえない永遠の問いがいくつも散りばめられている。最新刊『街とその不確かな壁』もまた、これまでの作品と同様に、首を傾げてしまう難題が揃っている。読者は、それらの理解を求めていないように…

再読に誘う批評は貴重なプリズムである

再読を促してくれる文章は、どんな種類のものでも貴重である。 この数週間、私のワーキングメモリはまったく機能しなかった。文字は私の眼の前にあり、ひと文字も逃さずに追っているが、一行前に書いてあったことがもう思い出せない。もうすぐ三歳になる娘の…

チャンタテーン滝

チャンタテーン滝に行ってきた。穏やかな海を眺めているとだんだん水と自分が一体になったような気がしてきて、勢いのある姿も見てみたいというもの。しかし今は乾季だから、入り口で「干上がってる」と半ば脅すように言われて、それでも私たちは行くのだと…

文学の楽しみに身をまかせる

去年の生誕祭の少し前、夫の友人から工芸茶を頂いた。工芸茶というと人間の手が加えられた高度な芸術品というイメージが先行するが、Flower teaである。紐で括られ丸く縮こまっていた草花がゆっくりと開き、湯のあいだをしばらく揺蕩う。おそらく最も美しい…

本を読むことは、諦めることから始めなければならない、とはまだ言いたくない

一月十九日は、私の誕生日だった。本厄から後厄に移り、母から念を押して「まだ厄年なので」と注意を受けて早々、体調を崩してしまった。これが後厄の洗礼なのかしら、と気が沈んでいたが、いまは回復し、机上の薔薇を眺めている。窓を全開にすると海風が薔…

海と机上を定点観測

渡泰八年八ヶ月。ようやく自分だけの机と椅子ができた。 目の前には穏やかな海が拡がっている。近くに大きな港があって、部屋の窓の正面はちょうど入港を待つコンテナ船やバルク船の溜まり場になっている。クレーンの首を右に左に据えた大型のコンテナ船はそ…

2022年に読んだもの

2023年は七日が去った。年末年始は引っ越しで忙しかったので、ようやく2022年の読書を振り返る。年始に届いたお気に入りの緑の机のうえに、去年読んだものを読み終わった順に左から並べて写真を撮ってみた。 ドストエフスキー『罪と罰』 ドストエフスキー『…