チャンタテーン滝

チャンタテーン滝に行ってきた。穏やかな海を眺めているとだんだん水と自分が一体になったような気がしてきて、勢いのある姿も見てみたいというもの。しかし今は乾季だから、入り口で「干上がってる」と半ば脅すように言われて、それでも私たちは行くのだという闘志を燃やして砂利道をぐんぐん下っていく。途中、道の脇に民族衣装が何着も掛けてあって、すらりと長身の女性のマネキンが肩までの髪をぐしゃぐしゃ振り乱している。無人だし、民族衣装はどれも原色ばかりで、ところどころほつれている。貸衣装屋ではなさそうだ。ああ、ここはそういうところなのかもしれないと肌寒くなる。小さい頃に水俣で祖父と山に入るときには確か入山前、下山後に必ず塩を振っていたと思う。ここは、野生動物保護区に指定されていて、ほとんど手のつけられていない山の中だ。塩なんて持ち合わせていないが、神聖な気持ちだけは保って下りていく。一番下まで来ると突きあたりに木製の案内板があって、右方向を指している。ここから50メール、200メートル、800メートル、1,020メートルにそれぞれ見るべき滝や谷があるらしい。つまり、今いるところは谷底ということになる。右に折れてすぐに大きな水溜りがあって大小岩がごろごろころがっている。すでに道が怪しい。しまった、私は買ったばかりの皮のサンダルを履いている。とりあえず一つ目の50メートル地点を目指そう。一足、一足、足の置き場を確かめながら、飛んだり這いつくばったりしながら進んでいく。分かれ道に来て、はてと立ち止まる。私たちの前を行く二人組は迷わず左を登っていった。しかし、左の道はとても急で二歳九ヶ月の娘には難しそうだ。右の道は水が流れていて可能性は高そうだが、娘の何倍もある巨岩が待っている。私たちの後から来た五、六人の若者たちはコロコロ笑いながら右へ進んでいった。短パンにぺらぺらのゴムサンダル。よし、大勢で行けば怖くない、私たちも右へ行くことにした。もうここからは完全に人の道ではない。進めば進むほど岩はあらゆる方向に尖り、雑然と配置され、枯葉がどっさりかぶさっている。三十センチくらいの可愛い滝を見つけて、ここでじゅうぶんだねと、娘とあめんぼを見て一息ついていると、突然、若者たちの声が一段と高く大きくなった。ついに小丘を見つけたようだ。彼らの姿はまだ見えている。三つか四つ難しそうな岩があるがその歓声に引き寄せられる。夫が娘を抱え、私もよろよろしながら進んでいくと、ようやっと50メートル地点に到着。石走る垂水の上に乾いた色とりどりの葉が落ちては流れていく。一メートルほどのこぢんまりとした滝だが、一枚岩を勢いよく落ちる水は力強い。めいめい岩に腰掛け、新鮮な空気をめいっぱい腹に溜めこもうと頑張る。大気汚染がひどく、うかうか外へも出られない日々が続いているからだ。肌をなでるひんやりとした風が気持ちいい。時々ゴォーと森全体が呻き、揺れる。枝先の葉まで震い、いっきに枯葉が落とされる。1,020メートル地点にはどんな景色が拡がっているのだろうか。天照大御神の隠れた天岩戸ならぬ、トラニーの女神様が長い髪を絞っているのかもしれない。