「このようにみごとな世界があるのに、どうしてそれをすこしも味わわずにやりすごすことができるのか」──リルケ『マルテの手記』(高安国世訳)」

 

「そう、要するに人々は生きるためにこのパリにやってくる。だがぼくには、むしろここでは何もかもが死んでゆくように思えてならない」

 

高遠弘美先生の『プルースト研究─言葉の森のなかへ─』*1に小説の書き出しについての論考があり、リルケの『マルテの手記』の書き出しには高安国世訳が選ばれている。二十八歳の孤独な詩人マルテの不安と緊張と意志が渦巻いて、その中心に立たされた読者は身動きができない。しかし、その悲しさのなかで美しささえ纏う歌のようなこの日本語は、これから告白される散りばめられた挑戦ともいえる断片を予感させ、それらを拾い集めると行き着くところへ読者を強烈に誘っている。

 

子どものころに読んだ本に挟まれていた「細い栞のひも」を思い出し、そのひもの役割から読書人の現実生活を想像すれば 、「なんと言っても本は結局は生活とは言えないのだから」とふっと洩らすマルテの冷静な目は、言葉のみを崇拝しているわけでないことの証である。マルテは、言葉の意味の不確実性を認めたうえで、経験による言葉の獲得を求めている。その実践こそが手記を書くことであり、孤独への対処であった。

 

「ああ、だが詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。それには待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない(感情ならはじめから十分あるわけだ)、──それは経験なのだ。一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。けものたちを知り、鳥の飛び方を感じ取り、朝小さな草花のひらく身ぶりを知らなければならない」

 

孤独で壁を築き世界を閉ざしていては、その言葉には到達することはできない。「自分を失わず、自分の存在の意義をひたすら求める者」であることに耐え続け、乗り越えることが経験であり、そうして詩の糧になる。

 

「ぼくは見ることを学んでいる」と冒頭に書いたマルテは、たとえば「貴婦人と一角獣」の壁掛けやレース細工をどのように見ているか詳細に書いてくれた。読者はマルテの目になり、一つひとつ確認し、想像し、「見る」ことの広さと深さ、物の緊密さと残酷さを知る。

 

私が詩人でなくとも、1910年に生きていた人間でなくとも、マルテが目指したもの、その過程としてのこの手記の健闘には価値がある。なにも高尚なことではない。孤独な生を受け入れ、諦めないこと。私の住む街、出会う人、通りすがりの小鳥や草花、それらすべてをきちんと見たいと思う。そして、リルケの詩集を手にとりたいと思う。

*1:高遠弘美プルースト研究─言葉の森のなかへ─』1999年、駿河台出版社