クンパカン、川を堰き止める!

十二月二日土曜日の午後、「コーン」というタイの仮面劇を観に行く。タイ文化センターの二千席のメインホールは満席だった。観客は小学生から高齢の方まで幅広く、ほとんどがタイ人である。華やかな民族衣装に身を包んだ人もいて、私も来年は挑戦してみようかしらなどと思いながら外で開演を待つ間、ホール前の通路に並んだ出店を物色する。風が吹いている。この時期、タイはとても過ごしやすい。肌を掠める風は日本の秋風を思わせ、早朝は肌寒ささえ感じる。出店と反対側に石のベンチがずらーっと続いていて、カオカームー(豚足煮込みかけご飯)やカオムーデーン(焼き豚のせご飯)を食べている人が目に入ってくる。このエネルギーが鑑賞にもれなく使われるのだと考えていると、劇に対する期待がにわかに膨らんでいく。ロンガンジュースを買って飲んで一息ついて、写真撮影スポットをひと通りまわってから、開演十五分前に座席に着く。

前後左右ともほぼ中央の席に座ると、舞台左右にそれぞれ配置された演奏衆が既に始めている。左も右も同じように配列されているようで、前列に歌唱隊、その後ろ三列が楽器隊である。シリキット王太后が「コーン」の維持と次世代への継承のために全面的に支援している今回の舞台は、二〇〇七年の開催よりほとんど毎年、ラーマ九世逝去にともなう自粛やコロナ自粛を除いて、継続されている。演目はシリキット王太后が毎年自らお選びになるそうだ。「コーン」は古代インドの叙事詩『ラーマヤナ』をもとにした『ラーマキエン』というタイの叙事詩から任意の場面が選ばれる。今年は「クンパカン、川を堰き止める」という演目で、トッサカンがクンパカンに川の堰き止めの命令を下すところから、クンパカンがラーマ王子の矢に死すところまでが演じられた。ちなみに『ラーマヤナ』にはサンスクリット語から日本語に翻訳した全訳があるが、『ラーマキエン』には未だ全訳は存在しない。

さて、「コーン」のなかで大人気の登場人物と言えば、ハヌマーンでしょう。今回の舞台でも、ハヌマーンがクンパカンの女官に変身して舞う場面で、猿であることを隠せない動きがどうしてもあちらこちらに出てしまうところが、一番の笑い所だったのではないかと思う。白地で金糸の映える仮面に軽快な動きで強くお茶目なハヌマーンは「コーン」に欠かせない。観客は絶えず笑い所と拍手所に出会おうとしている。物語に浸かりながら、一方では舞台装置やアロバットな演出に拍手と歓声で成功を祝う。複雑な古典芸能であるはずなのに、なんと柔軟な態度だろう。企画側の演出も相当に頭が柔らかいことも言っておかねばなるまい。例えば、舞台背景の水中を動きのある映像にして、巨大なクンパカンは実体のある豪奢な造り物、そこに宙づりの人間ハヌマーンが泳ぐ。物語の器は堅牢であると思わずにはいられない。古典は受け手を含めた我々によって新しくなりつづける。

現代の「コーン」は、最新技術を融合させつつも人間の身体芸術の可能性に集約していく。指の先が手の甲に触れるほど反り返った手つき、時計の秒針が通常の倍の時間をかけて進んでいるかのような錯覚を受ける優美な踊り、足を踏み鳴らし剣や矢を振り回して舞台上を駆けめぐる躍動といった定番の見せ所でも、やはり演者と観客にとってはその場限りの芸術体験である。大衆の精神に馴染んだ『ラーマキエン』の物語に支えられた鑑賞精神ゆえか、観客は上手に甘く、下手に厳しい。素直である。まわりまわって、タイの土着的な思想を取り入れ発展してきた『ラーマキエン』という物語の拡がりと奥深さを観客のなかに見たような気がする。

「このようにみごとな世界があるのに、どうしてそれをすこしも味わわずにやりすごすことができるのか」──リルケ『マルテの手記』(高安国世訳)」

 

「そう、要するに人々は生きるためにこのパリにやってくる。だがぼくには、むしろここでは何もかもが死んでゆくように思えてならない」

 

高遠弘美先生の『プルースト研究─言葉の森のなかへ─』*1に小説の書き出しについての論考があり、リルケの『マルテの手記』の書き出しには高安国世訳が選ばれている。二十八歳の孤独な詩人マルテの不安と緊張と意志が渦巻いて、その中心に立たされた読者は身動きができない。しかし、その悲しさのなかで美しささえ纏う歌のようなこの日本語は、これから告白される散りばめられた挑戦ともいえる断片を予感させ、それらを拾い集めると行き着くところへ読者を強烈に誘っている。

 

子どものころに読んだ本に挟まれていた「細い栞のひも」を思い出し、そのひもの役割から読書人の現実生活を想像すれば 、「なんと言っても本は結局は生活とは言えないのだから」とふっと洩らすマルテの冷静な目は、言葉のみを崇拝しているわけでないことの証である。マルテは、言葉の意味の不確実性を認めたうえで、経験による言葉の獲得を求めている。その実践こそが手記を書くことであり、孤独への対処であった。

 

「ああ、だが詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。それには待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない(感情ならはじめから十分あるわけだ)、──それは経験なのだ。一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。けものたちを知り、鳥の飛び方を感じ取り、朝小さな草花のひらく身ぶりを知らなければならない」

 

孤独で壁を築き世界を閉ざしていては、その言葉には到達することはできない。「自分を失わず、自分の存在の意義をひたすら求める者」であることに耐え続け、乗り越えることが経験であり、そうして詩の糧になる。

 

「ぼくは見ることを学んでいる」と冒頭に書いたマルテは、たとえば「貴婦人と一角獣」の壁掛けやレース細工をどのように見ているか詳細に書いてくれた。読者はマルテの目になり、一つひとつ確認し、想像し、「見る」ことの広さと深さ、物の緊密さと残酷さを知る。

 

私が詩人でなくとも、1910年に生きていた人間でなくとも、マルテが目指したもの、その過程としてのこの手記の健闘には価値がある。なにも高尚なことではない。孤独な生を受け入れ、諦めないこと。私の住む街、出会う人、通りすがりの小鳥や草花、それらすべてをきちんと見たいと思う。そして、リルケの詩集を手にとりたいと思う。

*1:高遠弘美プルースト研究─言葉の森のなかへ─』1999年、駿河台出版社

再読のできる本を発見するよろこび

 

私の好きな『モンテ・クリスト伯』を翻訳した山内義雄の「二十余年折にふれ坐右はなれぬ書物の一つ」*1として挙げられるマルセル・プルーストの『楽しみと日々』は、1896年にプルーストが初めて世に出した作品集である。二十代前半に書かれた短編小説、散文、詩をまとめたもので、その詩の一部に曲をつけたレーナルド・アーンの楽譜、マドレーヌ・ルメールの挿絵、アナトール・フランスの序文に飾られた初版豪華本は、プルーストが『失われた時を求めて』を書いたことによって発掘されるまで、長らく読者が限られていた。

ガリマール社から普及版が刊行されたのはプルーストの死の二年後、1924年である。ガリマール社といえばアンドレ・ジッド。「スワン家のほうへ」を読みもせずに出版を拒否したのも、『楽しみと日々』再評価の一役を担ったのも、ジッドであった。ジッドはプルーストの追悼特集に「『楽しみと日々』を読み返して」という批評を寄せた。『楽しみと日々』のなかに、当時まだ刊行途中であった『失われた時を求めて』を見出し、「後になってあの長大な小説で輝かしく咲き誇るものはみな、この本の方では発生期の姿で示されている」*2と評している。たしかに『失われた時を求めて』で描かれるいくつかのモチーフを見つけることは容易く、それを蕾や萌芽だと言いたくなるのはもっともだ。いま、私たちが文庫で『楽しみと日々』を読めるのも、きっと彼のおかげである。ありがとう、ジッド。

それでも、一介の読者である私なんかは、『楽しみと日々』はそういう読み方をしていて愉しめるものなのだろうかと、つい言いたくなる。プルーストに「長大な」という前置きを改めたくなるほど、感性と言葉を極めたプルースト色の作品群のように思えるからだ。若さのもつ限りのない好奇心に適した容れ物としての短編、散文、詩であり、それらは二十歳のプルーストにとって最良の選択だった。この容れ物は、『失われた時を求めて』には求められないある種の緊密さと大胆さを生み出し、一文一文のつながりを丁寧にたどっていくと、あっと驚く着地に気づくだろう。人称、視点、題材の豊かさは、万華鏡のように予測の効かない模様を次々と映し出し、プルーストの眼を通して見る世界の複雑さに 、表現としての繊細な言葉に心動かされるだろう。

レーナルド・アーンは「散歩」という回想録に、長い間じっと薔薇を見つめるプルーストのことを「自然と芸術と人生と完全に交感する神秘の瞬間」*3と書いているが、このようなプルーストの態度は『楽しみと日々』から一貫している。「悔恨、時々に色を変える夢想」という『楽しみと日々』後半を占める三十篇の散文のエピグラフは、その堂々とした告白ではないかと考えられる。

 

「詩人の生き方は単純でなくてはならぬ。この上なくありふれた影響にも喜びを覚え、陽気さは一筋の日の光の果実、霊感を得るのに大気があればよく、陶酔を覚えるには水で充分というふうでなくてはならぬ」

エマソン*4

 

『楽しみと日々』を愛読していた山内義雄は、この「悔恨、時々に色を変える夢想」のいくつかを翻訳している。ここに敬意を込めて、私の特に好きな作品の書き出しを、私が通読した岩波文庫版の岩崎力訳とならべてみたい。書き出しの緊張感は充分に伝わるだろう。

 

「一 チュイルリー」

今朝チュイルリーの庭で、日の光は、通り過ぎる影にたちまち軽いまどろみから醒める金髪の少年のように、こもごもすべての石段で眠った。(岩崎力訳)*5

「テュイルリー」

けさ、テュイルリーの庭の中、太陽は、ふとした影の落ちるのにも忽ち假睡(うたたね)の夢やぶられる金髪の少年といつたやうに、石の階段(きざはし)の一つびとつのうへに輕い眠りを貪つてゐた。(山内義雄訳)*6

 

「二 ヴェルサイユ

たまさかの日の光にもはや暖をとるすべもなく力尽きた秋が、一つまた一つ、色を失っていく。(岩崎力訳)

ヴェルサイユ

衰へはてた秋は、今は稀にさす日射しにも暖めてもらへず、その彌果(いやはて)の色彩を一つ一つに失つて行く。(山内義雄訳)

 

「六」

野心は栄光よりも人を酔わせる。欲望はすべてを花と咲かせ、所有はすべてをしおらせる。(岩崎力訳)

「★」

野心は光榮よりも人を醉はす。希望はあらゆるものを花咲かせ、所有はあらゆるものを萎ませる。(山内義雄訳)

 

「八 聖遺物」

できれば友達になりたかったのに、ただの一瞬も私と話を交わすのに同意しなかった女性の持ち物で、売りに出されたものすべてを私は買い取った。(岩崎力訳)

「かたみ」

わたしはかつてその女(ひと)の友となりたいとねがひ、しかもただ一ときの語らひさへゆるされなかつたその女(ひと)の、持ち物すべての賣りに出されたのを手に入れた。(山内義雄訳)

 

「十九 田園を吹き渡る海の風」

庭を、小さな林の中を、そして野面を、風は狂ったように激しく徒らに吹き荒び、日光の一斉射撃を吹き散らし、最初降り注いだ雑木林の枝々を激しく揺さぶって日光を追い出し、きらきら光る藪まで追いかける。(岩崎力訳)

「野にそよぐ海風」

庭の中、小さな林の中、野面を越えて、風は、狂ほしい、そして甲斐ない力を傾けながら、しぶき注ぐ日の光を吹き散らさうとする。それは日の光が最初に降り注いだあの輪伐林の枝々を烈しく揺つて、今やそれがきらきら光つてゐる藪かげの方へ逐ひ立てようとしてゐるのだ。(山内義雄訳)

 

先日のプルースト精読講座*7では、講師で『失われた時を求めて』訳者でもある高遠弘美先生が、『楽しみと日々』を「(『失われた時を求めて』のための)周囲を巡っている、それぞれ光り輝く衛星群」と表現された。現在の私たちは、その天体図を眺めることのできる幸福な観測者である。『楽しみと日々』は、『失われた時を求めて』という存在なしには照らされることのなかった衛星かもしれないが、ただそこに描かれるものに想像力あるいは創造力をはたらかせ始めから最後まで言葉を渡り歩く愉しみは、どちらもそう変わらない。もっといえば、両方を知ることによって世界はより多彩になっていく。プルーストの文章は再読するたびに照射される角度が微妙に異ってくる。なぜなら、観測者が生き続ける限り、時間によって観測点が変化していくからだ。自分に飽きることが難しいように、プルーストの作品は飽きることと程遠いようだ。

*1:山内義雄『遠くにありて』1995年、講談社文芸文庫

*2:プルースト全集 別巻』1999年、筑摩書房

*3:同上

*4:プルースト岩崎力訳『楽しみと日々』2015年、岩波文庫

*5:同上(以下、岩崎訳は同書からの引用)

*6:山内義雄『フランス詩選』1964年、白水社(以下、山内訳は同書からの引用)

*7:NHKカルチャーによるオンライン講座「訳者とたのしむプルーストスワンの恋」」

選び取った現実に生きること──村上春樹『街とその不確かな壁』を読む

 村上春樹の小説には、「いったいこれはなんだろう」と呟かざるえない永遠の問いがいくつも散りばめられている。最新刊『街とその不確かな壁』もまた、これまでの作品と同様に、首を傾げてしまう難題が揃っている。読者は、それらの理解を求めていないようにみえる事柄に対して、どのように向き合うべきなのだろうか。そもそも、「ああ、すっかり理解できた」と思える物語なんて存在しないだろうが、少しでも近づこうとする努力は必要であるというのが私のひとつの指針である。

 『街とその不確かな壁』は「街と、その不確かな壁」という1980年に発表した中編小説を書き直したものである、と著者自身があとがきで詳らかにしている。ご本人が言う「それなりの年季を積んだ専業作家」、の一つの決着であると考えることができるだろう。しかし、村上春樹の長編小説を好んで読んできた私の第一印象は芳しくなく、総体的に言葉の力が弱まっているように思えてならない。実体のない言葉、とでも言えるだろうか。主人公の意思や行動のほうが光に照らされ、言葉が影になっているような気がするのである。そう感じるのは、私のほうに問題があるのかもしれないし、やはり何事も、簡単に、決めつけてはいけない。

 『猫を棄てる』『一人称単数』に連なるひとつの主題として、「〇〇であったかもしれない自分」という大きなテーマがあると思う。現在の自分は、偶然あるいは選択の結果であるという見方である。『街とその不確かな壁』の第二部の冒頭はこういった文章で始まる。

 

その川の流れが入り組んだ迷路となって、暗黒の地中深くを巡るのと同じように、私たちの現実もまた、私たちの内部でいくつもの道に枝分かれしながら進行しているように思える。いくつかの異なった現実が混じり合い、異なった選択肢が絡み合い、そこから総合体としての現実が──私たちが現実と見なしているものが──できあがる。

 

第一部の最後に、高い壁に囲まれた街で自分の影と決別した直後の文章である。ここから、街とは別のもう一つの「現実」が展開されていくのだが、読み進めていくと、 外の世界で「私」の代わりに「立派に」生きていたのは、主人公の影のほうだったという反転が生じていることが一応あきらかになる。そして最終の場面で、街に残ったほうの「私」は自分の影が生きる世界に復帰する決断をする。どちらが本体でどちらが影かという問題は登場人物らによって様々な形で提起され、そこに結論はない。

 自分が選んだ世界と、選ばなかった世界。その二つの世界、あるいは本体と影は、まったく別なものというより、互いに補完しあうような曖昧な関係にありそうだ。ある選択をすると、世界が微妙に変化する。時間が存在する世界では、絶えず「〇〇であったかもしれない自分」が発生している。そのような状態において、唯一、人間の記憶あるいは心は、それらの「かもしれない」を見つめることができる。 つまり、「現実」の自分は、膨大な「かもしれない」を抱えて生きているということになる。そう考えると、時間とともに変化しつづける個体が何十億と存在する世界=「現実」がいかに不確かなものかと感じられる。それでも、ひとつの意思というのは、ひとりの人間にとって、やはり尊重されるべきものであり、結果としての「現実」を閉ざさない可能性であるのかもしれないと思う。

 少しは、物語に近づけただろうか。

再読に誘う批評は貴重なプリズムである

 

再読を促してくれる文章は、どんな種類のものでも貴重である。

 

この数週間、私のワーキングメモリはまったく機能しなかった。文字は私の眼の前にあり、ひと文字も逃さずに追っているが、一行前に書いてあったことがもう思い出せない。もうすぐ三歳になる娘の生まれて初めての風邪にあたふたしながら、そのとてもしぶとい風邪をもらってしまったからだ。それでも、これだけはとしがみついていたものが、三つある。『失われた時を求めて』、『ナボコフの文学講義』、ベンヤミンの「プルーストのイメージについて」である。この三つを、唸りながら、朦朧としながら、行ったり来たりしていた。どれも文章そのものに再読に耐えうる力があり、そのうえ『失われた時を求めて』の再読へと誘ってくれる。

 

失われた時を求めて』第一巻の再読を始めてから十ヶ月が経つ。2022年6月から始まった高遠弘美先生のプルースト精読講座を受講していて、その進度に合わせて読んできたが、今月末の講座で第一巻を読み終える。これだけ長大で緻密な作品であるから、何度読んでも新たな発見が尽きることはない。ナボコフは「良き読者と良き作家」の中で「ひとは書物を読むことはできない、ただ再読することができるだけだ(「読む」に傍点)」と言ったが、高遠先生の言葉にもプルースト再読の秘密があるようだ。

 

さうした再読を重ねてゆくこと。ひとたび読んだ後はそのやうな再読を通じて、風に吹かれて散り初めた桜の花片がいつの間にか道や水面を覆ふやうに、自らの内面にプルーストの世界の断片を一つ一つ敷きつめてゆくこと。そこにこそ『失はれた時を求めて』といふ長大な作品を我が物とするすべがあります。

高遠弘美先生(@Thouartmore)のTwitter3月24日投稿より)

 

完全に「読む」ことはできないのだから「作品を心や頭で読まず、背筋で読む」ナボコフの再読と、自分と共鳴した作品世界の断片を集めていく再読は、両立する。どちらも細部に、言葉そのものに、極めて敏感であろうとするからだ。ナボコフプルースト講義を読めば、細部にこそ作品の核心に迫る構造を見出せることがわかるだろう。どちらの再読も、大切にしたい。

 

筑摩のプルースト全集別巻に収録されているベンヤミンプルースト論「プルーストのイメージについて」は、二段組で十ページの短評である(三章のうち初めの二章のみ訳出)。素材のわからない架空の美酒のような文章だと思う。第一章の冒頭は『失われた時を求めて』をなぞるように読者を夢に現に彷徨わせる。『オデュッセイア』のペーネロペイアの糸に導かれて作品の本質が明らかになると、織物のモチーフは古代ローマ人を通ってプルーストのエピソードにつながるが、その糸は最後までベンヤミンの手の中にある。無駄がなく、的確で、美しく、粋である。その洗練された流れは、読者に微かな酔いを纏わせる。引用の上手さも逃してはいけない。ジャン・コクトー、マックス・ウーノルト、クレルモン=トネール公爵夫人、レオン・ピエール=カンのそれぞれの文章は、その場にふさわしく注がれる。とりわけコクトーの「夜と蜂蜜の法則」の一節は、引用元の「マルセル・プルーストの声」をどうしても読みたくなるほど魅力的だ(東京創元社ジャン・コクトー全集第四巻』に収録)。一滴でも触れるとやめられなくなる文章、その秘技を求めたくなる文章、そして必ず『失われた時を求めて』を再読したくなる文章である。(しかし、告白すると、この十ページの批評の肝心な箇所に来るたびに頭を抱えてしまう。これは、ほとんど私の問題だと思われるから、筑摩からでている『ベンヤミン・コレクション』の第二巻を注文して届くのを待っている。)

 

 

プルーストの再読が始まってから、何を読んでも、何を見ても、何を聴いても、私は自らにプルースト的な態度を求めている。その「プルースト的な態度」は『失われた時を求めて』を再読することによってしか培われない。『失われた時を求めて』そのものが再読を前提として書かれているが、ナボコフベンヤミンプルースト論は、『失われた時を求めて』の発する光のためのプリズムを借りるようなもので、その光が分散あるいは屈折あるいは反射する方向はプリズムによって無限である。ナボコフが「プルーストはプリズムみたいだ」と言ったように、作品そのものが既に屈折した世界であるならば、読者というプリズムの重要性はいうまでもない。読書はひとりきりの営み。しかし、他人の、それもある高みに達したプリズムを借りて覗いてみる世界は、私のプリズムに何かしらの変化を与えるかもしれない。ここに、再読に誘う批評の価値があるのではないだろうか。プルーストの世界は、再読することによってのみ、より複雑に、より深く、より新しくなっていくのだから。

 

「耳」 ジャン・コクトオ

 私の耳は貝のから

 海の響をなつかしむ

堀口大學訳『月下の一群』1952年、白水社より)

 

海の響をなつかしむように、私は再読し続けることになるだろう、永遠に……。

チャンタテーン滝

チャンタテーン滝に行ってきた。穏やかな海を眺めているとだんだん水と自分が一体になったような気がしてきて、勢いのある姿も見てみたいというもの。しかし今は乾季だから、入り口で「干上がってる」と半ば脅すように言われて、それでも私たちは行くのだという闘志を燃やして砂利道をぐんぐん下っていく。途中、道の脇に民族衣装が何着も掛けてあって、すらりと長身の女性のマネキンが肩までの髪をぐしゃぐしゃ振り乱している。無人だし、民族衣装はどれも原色ばかりで、ところどころほつれている。貸衣装屋ではなさそうだ。ああ、ここはそういうところなのかもしれないと肌寒くなる。小さい頃に水俣で祖父と山に入るときには確か入山前、下山後に必ず塩を振っていたと思う。ここは、野生動物保護区に指定されていて、ほとんど手のつけられていない山の中だ。塩なんて持ち合わせていないが、神聖な気持ちだけは保って下りていく。一番下まで来ると突きあたりに木製の案内板があって、右方向を指している。ここから50メール、200メートル、800メートル、1,020メートルにそれぞれ見るべき滝や谷があるらしい。つまり、今いるところは谷底ということになる。右に折れてすぐに大きな水溜りがあって大小岩がごろごろころがっている。すでに道が怪しい。しまった、私は買ったばかりの皮のサンダルを履いている。とりあえず一つ目の50メートル地点を目指そう。一足、一足、足の置き場を確かめながら、飛んだり這いつくばったりしながら進んでいく。分かれ道に来て、はてと立ち止まる。私たちの前を行く二人組は迷わず左を登っていった。しかし、左の道はとても急で二歳九ヶ月の娘には難しそうだ。右の道は水が流れていて可能性は高そうだが、娘の何倍もある巨岩が待っている。私たちの後から来た五、六人の若者たちはコロコロ笑いながら右へ進んでいった。短パンにぺらぺらのゴムサンダル。よし、大勢で行けば怖くない、私たちも右へ行くことにした。もうここからは完全に人の道ではない。進めば進むほど岩はあらゆる方向に尖り、雑然と配置され、枯葉がどっさりかぶさっている。三十センチくらいの可愛い滝を見つけて、ここでじゅうぶんだねと、娘とあめんぼを見て一息ついていると、突然、若者たちの声が一段と高く大きくなった。ついに小丘を見つけたようだ。彼らの姿はまだ見えている。三つか四つ難しそうな岩があるがその歓声に引き寄せられる。夫が娘を抱え、私もよろよろしながら進んでいくと、ようやっと50メートル地点に到着。石走る垂水の上に乾いた色とりどりの葉が落ちては流れていく。一メートルほどのこぢんまりとした滝だが、一枚岩を勢いよく落ちる水は力強い。めいめい岩に腰掛け、新鮮な空気をめいっぱい腹に溜めこもうと頑張る。大気汚染がひどく、うかうか外へも出られない日々が続いているからだ。肌をなでるひんやりとした風が気持ちいい。時々ゴォーと森全体が呻き、揺れる。枝先の葉まで震い、いっきに枯葉が落とされる。1,020メートル地点にはどんな景色が拡がっているのだろうか。天照大御神の隠れた天岩戸ならぬ、トラニーの女神様が長い髪を絞っているのかもしれない。

 

 

文学の楽しみに身をまかせる

 

去年の生誕祭の少し前、夫の友人から工芸茶を頂いた。工芸茶というと人間の手が加えられた高度な芸術品というイメージが先行するが、Flower teaである。紐で括られ丸く縮こまっていた草花がゆっくりと開き、湯のあいだをしばらく揺蕩う。おそらく最も美しい瞬間に摘まれ、見映えよくととのえられた、悲しき商品という偏見は、湯のなかのジャスミンカーネーションの素朴な美しさの前に、崩れてしまった。草花はどんな厳しい環境にあっても最後まで自身の生命の輝きを守り続けている。そのしなやかなあり方がうらやましいと思う。草花の仕草に見惚れていると、プルーストの文章が自然に浮かんでくる。

 

日本人がよくする遊び──陶磁器のお椀に水を満たし、そこに、小さな紙片をいくつか浸して遊ぶのだが、水に沈めたと思うと、紙片はたちまち伸び広がり、ねじれて、色がつき、互いに異なって、誰が見てもわかるしっかりしたかたちの花や家や人物になる、そんな遊びと同じように、いま、私たちの家やスワンの家の庭に咲くあらゆる花が、ヴィヴォンヌ川の睡蓮が、善良な村人たちが、彼らの小さな住まいが、教会が、コンブレー全体とその周辺が──そうしたすべてが形をなし、鞏固なものとなって、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである。(プルースト著・高遠弘美訳『失われた時を求めて1:第一篇「スワン家のほうへI」』より)

 

ぼんやりとしたなかで最後まで正体のわからないものを見つめるのは不安だけれど、そのきっかけを逃すまいとする精神の力があれば、それらは「形をなし、鞏固なものなって」、私を幸福で満たすことができる。今から何度、私はこういう奇跡を経験することができるだろう。長い時間をかけて少しずつ形成された強烈な不幸が訪れて、抱えたくない過去を抱えて、それでも生きていくしかないときにこそ読んで、生きる意欲が湧いてくるのが私にとってのプルースト

 

 

今週の机上観測。先週と変わらない。ただし、吉田健一の『文学の楽しみ』がわざわざ手前に据えてあるのは、その影響の大きさを表している。書かれていることは、いま、まさに、私が求めていた答えで、すべてではないけれど、恐ろしいほどよくわかってしまうものばかりだ。私は吉田健一も彼の作品もほとんど知らないが、言葉の世界に遊ぶ一つの高みを見せてくれるそのやり方が紳士で、喜んで従いていきたくなる。この際、自分を託してみようではないか、という危険と期待が隣り合わせの、愉快な気分が続いている。