クンパカン、川を堰き止める!

十二月二日土曜日の午後、「コーン」というタイの仮面劇を観に行く。タイ文化センターの二千席のメインホールは満席だった。観客は小学生から高齢の方まで幅広く、ほとんどがタイ人である。華やかな民族衣装に身を包んだ人もいて、私も来年は挑戦してみようかしらなどと思いながら外で開演を待つ間、ホール前の通路に並んだ出店を物色する。風が吹いている。この時期、タイはとても過ごしやすい。肌を掠める風は日本の秋風を思わせ、早朝は肌寒ささえ感じる。出店と反対側に石のベンチがずらーっと続いていて、カオカームー(豚足煮込みかけご飯)やカオムーデーン(焼き豚のせご飯)を食べている人が目に入ってくる。このエネルギーが鑑賞にもれなく使われるのだと考えていると、劇に対する期待がにわかに膨らんでいく。ロンガンジュースを買って飲んで一息ついて、写真撮影スポットをひと通りまわってから、開演十五分前に座席に着く。

前後左右ともほぼ中央の席に座ると、舞台左右にそれぞれ配置された演奏衆が既に始めている。左も右も同じように配列されているようで、前列に歌唱隊、その後ろ三列が楽器隊である。シリキット王太后が「コーン」の維持と次世代への継承のために全面的に支援している今回の舞台は、二〇〇七年の開催よりほとんど毎年、ラーマ九世逝去にともなう自粛やコロナ自粛を除いて、継続されている。演目はシリキット王太后が毎年自らお選びになるそうだ。「コーン」は古代インドの叙事詩『ラーマヤナ』をもとにした『ラーマキエン』というタイの叙事詩から任意の場面が選ばれる。今年は「クンパカン、川を堰き止める」という演目で、トッサカンがクンパカンに川の堰き止めの命令を下すところから、クンパカンがラーマ王子の矢に死すところまでが演じられた。ちなみに『ラーマヤナ』にはサンスクリット語から日本語に翻訳した全訳があるが、『ラーマキエン』には未だ全訳は存在しない。

さて、「コーン」のなかで大人気の登場人物と言えば、ハヌマーンでしょう。今回の舞台でも、ハヌマーンがクンパカンの女官に変身して舞う場面で、猿であることを隠せない動きがどうしてもあちらこちらに出てしまうところが、一番の笑い所だったのではないかと思う。白地で金糸の映える仮面に軽快な動きで強くお茶目なハヌマーンは「コーン」に欠かせない。観客は絶えず笑い所と拍手所に出会おうとしている。物語に浸かりながら、一方では舞台装置やアロバットな演出に拍手と歓声で成功を祝う。複雑な古典芸能であるはずなのに、なんと柔軟な態度だろう。企画側の演出も相当に頭が柔らかいことも言っておかねばなるまい。例えば、舞台背景の水中を動きのある映像にして、巨大なクンパカンは実体のある豪奢な造り物、そこに宙づりの人間ハヌマーンが泳ぐ。物語の器は堅牢であると思わずにはいられない。古典は受け手を含めた我々によって新しくなりつづける。

現代の「コーン」は、最新技術を融合させつつも人間の身体芸術の可能性に集約していく。指の先が手の甲に触れるほど反り返った手つき、時計の秒針が通常の倍の時間をかけて進んでいるかのような錯覚を受ける優美な踊り、足を踏み鳴らし剣や矢を振り回して舞台上を駆けめぐる躍動といった定番の見せ所でも、やはり演者と観客にとってはその場限りの芸術体験である。大衆の精神に馴染んだ『ラーマキエン』の物語に支えられた鑑賞精神ゆえか、観客は上手に甘く、下手に厳しい。素直である。まわりまわって、タイの土着的な思想を取り入れ発展してきた『ラーマキエン』という物語の拡がりと奥深さを観客のなかに見たような気がする。