【書評】『ミラノ 霧の風景』(須賀敦子著)

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須賀敦子全集の第1巻に収められている『ミラノ 霧の風景』を紹介したい。

 

本書は、須賀敦子(1929-1998)が、二十代の終りから四十代の初めの十三年を過ごしたイタリアでの生活を素材にして書いたエッセイである。ひと作品二十頁前後の十二の小品とあとがきからなる。随筆家としてのデビュー作(1990年刊行)で、女流文学賞講談社エッセイ賞を受賞している。

 

しかし「エッセイ」という一語では言い表せていないことがある。私はこの作品を須賀敦子の生き様として読み、途中で本を閉じては、自分の人生について考えた。生きていれば悲しいことは尽きないが、過去の悲しみを、悲しみのままに、ともに生きる術を見たようである。特別なことのない、ささやかな一日一日をいかに生きていくか、彼女の人生をひとつのお手本として考えてみる価値があると思い、筆をとることにした。

 

プルースト須賀敦子

須賀敦子の文章を読んでいて、ある作家の文章を読んだときと同じような感覚があった。プルーストの『失われた時を求めて』である。本書は須賀が約二十年前の体験を思い出すことによって成立している。詳細に思い出されることもあれば、どうしても思い出せないこともあり、それらは正直に告白されているように思う。プルーストの『失われた時を求めて』は語り手の回想によって成立している物語であり、記憶と忘却が重要な問題として描かれている。一方では小説、一方ではエッセイでありながら、構造的に類似性がある。また、二番目の作品「チェデルナのミラノ、私のミラノ」に顕著であるが、この作品では、須賀がカミッラ・チェデルナというイタリアの作家の本を読んだことをきっかけに、過去のいくつかの記憶が連鎖的によみがえる。記憶の引金になっているのは匂いで、チェデルナの描く「イタリアの貴族たちが[中略]、社会のどこかでひそかに発散しつづけているほのかな匂い」が発端となっている。この匂いは、須賀が夫と結婚指輪を購入しに訪ねた店の「ヨーロッパの秘密の部分の匂い」につながり、夫の死後にふと寄った菓子店のレジの女性の「裏側に生きたひとの匂い」でエッセイは終幕する。これらの匂いの合間に、チェデルナの本から派生した人、場所、モノが思い出され、語られる。プルーストも、記憶の引金は五感であり、そのなかでも匂い、臭覚には過去を現在によみがえらせる強い力がある。ここにもまた、両者に相似の点がある。さらに、須賀は「チェデルナのミラノ、私のミラノ」と「鉄道員の家」の二つの作品で『失われた時を求めて』に直接言及している。推測ではあるが、須賀はプルーストを読んでいた、それもかなり大切にしていたのではないだろうか。プルーストの影響が多分に感じられる。須賀も私も、ファニー・ピションのいう「プルースト派」なのだと考えてみると、私が須賀の文章に魅かれるのも自然である。須賀の記憶のなかの人、名、土地、草花が命を吹き込まれたように読者の眼前に現れるのは、プルーストが虚構の世界で描いたように、執筆時の現在としての須賀が過去と現在を不断に行き来し、自分の感覚の所在をつかもうとする真摯な態度があったからこそであろう。

 

悲しみとともに生きること

「夫が死んでしばらくのころ」というふうに、須賀は夫の死について躊躇いがないかのように言及する。須賀はイタリアで出会ったペッピーノというイタリア人男性と結婚するが、わずか六年で死別してしまう。須賀のイタリア生活の大部分を占めていた夫の存在は、なにかが思い出される度に、当然のように一緒に思い出される。夫の死後しばらくは「思考が麻痺し、真空のなかで呼吸を強いられていたような日々」であり、その絶望と悲しみは想像を絶する。それから二十年以上がたった執筆当時でも、具体的に書かれているわけではないが、悲しみは悲しみのままであったのだろう。本書には、常に夫の存在と死が根底にあるようである。しかし、悲しいという感情でその前後の記憶の全てを上書きしてしまうのではなく、夫をはじめとする大切な人々との出来事を、鋭い観察眼をもって丁寧に誠実に描くことができたのが『ミラノ 霧の風景』である。悲しみとともに生きるとは、まさにこういうことなのではないだろうか。ありのままに受け入れ、過去を正視することを恐れない。それは二十年という時間の経過がなせるものであったのかもしれないが、彼女がこの作品で証明したことは、読者の未来に希望を与えるものであると信じている。

 

理解する対象としての町

ミラノ。須賀敦子が生活した場所である。本書は、ミラノを中心にイタリアのいくつかの町が描かれる。「描かれる」と言ったが、このような町であると断定するようなものではない。あくまでも、日常生活のなかで出会った人、風景、草花などに温かい眼差しが向けられる。須賀の眼がうらやましくなるほどに、その観察眼は鋭く、見たものは誠実に描かれる。「この町は」と言うとき、ともすれば、その言葉自体の圧力に飲みこまれ、述語の対象である「この町」の多様性を否定してしまうことになる。非常に危険な言葉である。しかし、須賀の描く町は彼女の日常生活のなかにあり、判断を下す対象ではない。高慢とは無縁である。須賀にとって、町は理解する対象である。常にその距離と関係性を測り続ける対象である。そんな謙虚な態度に、町はあらゆる顔を見せてくれるのではないだろうか。「ナポリを見て死ね」で、須賀がサン・ドメニコ・マジョーレ教会でふたつの墓に出会ったのも、偶然ではないのかもしれない。

 

おわりに

記憶の手綱をしっかり握り、「思い出す」ことにともなう感情をそのままに受け入れ、過去を再認識することを恐れない。記憶を自分の味方につけることの難しさに正面から向き合う須賀の真心は、彼女の鋭い観察眼と、見たものを誠実に描く文章により、過ぎ去った人、名、土地、草花に命を吹きこむ。彼女の極めて個人的な体験が読者の現在、過去、未来にそっと入り込んでくるのは、そのような彼女の真摯な態度によるものではないだろうか。特別なことのない、ささやかな一日一日をいかに生きていくか。彼女の眼を借りてものを見ることによって、読者自身の新しい眼が開かれるだろう。彼女の文章は焦って読んでもあまり意味がない。プルーストの文章を読むように、じっくり、ゆっくり向き合っていきたいと思う。

 

【参考文献】

須賀敦子(2006)『須賀敦子全集:第1巻』河出書房新社.